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スポナビ:A・マドリー元会長、ヘスス・ヒル氏逝く 
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/eusoccer/headlines/20040515-00000014-spnavi-spo.html 
スペイン1部リーグ、アトレチコ・マドリーの元会長ヘスス・ヒル氏が、入院先のマドリー中央病院で息を引き取った。マドリーでは、地元テレビ局「テレ・マドリー」で特別番組を構成されるなど、彼の死を悼んだ。
  
アトレチコ・マドリー最大の株主にして、スペインスポーツ界でも大きな影響力を持っていたヒル氏。アトレチコ・マドリー会長在任時には、次々と国際レベルの選手を獲得しクラブを強化。 
彼の下でチームは、リーグ制覇や国王杯獲得を成し遂げた。彼の力なくしてあの成功は不可能だったことをアトレチコサポーターの誰もが認めている。
  
しかしその反面、彼の極端なワンマン体制がチームの凋落を呼んだこともアトレチコサポーターは忘れていない。アトレチコ・マドリーにとって光と影の両面をあわせ持つヒル氏。 
アトレチコサポーターが過去のリーグ制覇、国王杯獲得のことを思い出す時、同じくヒル氏のことも思い出すのだろう。ヒル氏のご冥福をお祈りする。合掌。|< 
  • この名物オーナーが亡くなったのは5/14ということで、おりしも全日本女子バレーが韓国をストレートで下してアテネ五輪を行きを決めた日でもあるわけです。 
彼は、1987年にオーナーに就任して2003年に辞める17シーズンの間に24人もの監督の首を切ったり、気に入らない選手を追い出したりという暴君者の一面もありました。それが仇となって1999-2000シーズンには、初の2部降格を始めとする暗黒時代(2000-01シーズンには1時期3部落ちの危険性もあった)の要因ともなりました。  ただ、彼がクラブを愛してるかのごとく強烈な独裁ぶりは金を大量に使い、トップクラスの選手を集めて、1995-96シーズンでは1976-77以来の優勝を勝ち取ったし、国内カップも2度勝ち取った事も事実です。 辞めるときは、レアルとのマドリードダービーにおける大敗で選手に暴言を吐いて辞任したという事で最後まで暴君者ぶりを見せてくれました。  今でこそ、F.トーレスがA.マドリードの中では1番のお気に入りですが、海外サッカーにのめり込んだ当初はこの会長が最大のお気に入りでした。  それだけにこの71歳という早すぎる死去は、先の岡崎律子氏の件と同様に非常に残念な事に思えます。恐らく、あなたのようなオーナーは現れない事でしょう。  昨日彼の遺書通り、A.マドリーのチームフラッグと共に埋葬下という事で最期の時までアトレティコを愛した名物オーナーは、後世まで語り継がれて欲しいものです。